概略(内容:「BOOK」データベースより)
植物のように生きることを運命づけられた幼い命を救うために、現代医学の限界に挑む若い医師。
ヒューマニズムとは何なのか、愛とは何なのか、そして命の“重み”とは―外科医として、文学者として、人間の魂と肉体の気高さ、はかなさを見つめつづけてきた作者が、永遠の命題をあらためて問い直す力作長編。
読後感
渡辺淳一による長編小説。1973年(昭和48年)9月に河出書房新社より刊行された。
『天才たちのメッセージ「東大理Ⅲ」平成元年』の中に、現役合格した方で渡辺淳一氏を愛読し、慶応医学部受験の時の小論文課題「我が愛読書」に対し、本書をもとに回答したとの記事を拝読した。
小生の同級生だった当時高校生の天才達は、どんな本を読んでいたのだろうか?
遅れること約30年、遅ればせながら同書を読んでみた。
まず読みながら思ったのは、今から約50年前の医療や、当時の診療の様子が垣間見れたのが興味深かった。
水頭症の検査で「気脳写」の場面の描写があるが、今のCT、MRIが当たり前の時代からみると、すごく野蛮で怖い時代だったなあと感嘆。また水頭症手術で「脳室ー心臓シャント」が行われていたというのは、専門外であるが驚いた。
医師も患者さんも大変だったと思います・・・
また「看護師詰所」(ナースステーション)での喫煙や、医局での飲酒が普通の日常として描写されているのには時代を感じる。
また重大な手術をするにもインフォームドコンセントが口頭だけ、しかもkey personの選定が不十分で、「これはマズイとなあ・・・」というのが率直な印象。
医療訴訟華やかなりし現代では考えられない
当時はまだ医療者-患者(家族)関係が父権主義的関係がまだ当然の時代だったのだろうか?
またそれが本書の主要テーマに大きく関係する要素なのだが、今では通用しない展開要素であろう)。
当時としては渡辺氏の小説は、今では当たり前となった当時の様々な医療問題に、一石を投じる先進的な役割を果たしたのかもしれない。
テーマは安楽死の議論や医療訴訟、医師患者間の「転移・逆転移」関係にも及ぶもので、色々と考えさせられる内容が包含されており、読後感はすっきりせず、重い気分になる。
「実際自分が主人公の医師の立場だったら、どの様にふるまうだろうか?」と自問してみるのも面白い。
今の時代、医療をテーマにした小説、映画などは星の数程出版されているが、
約30年前、医療小説的なものは渡辺淳一氏くらいだったのかなあ…?
現代の医学部小論文対策では、どんな本を読むように勧められているのか、興味がある。
ただしかし、約30年前、高校時代に超多忙な受験勉強と平行して、問題意識を持ち、多くの読書もこなしていた現役理Ⅲ合格同級生K君、流石です。