絶えず「死」を眼前に置く:奴隷の哲学者エピクテトス 「人生の授業」

奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 ――この生きづらい世の中で「よく生きる」ために
荻野 弘之

 

 

 

 

 

スポンサーリンク

『我々次第であるもの』に眼を向けて励み、『我々次第でないもの』には捕らわれない

『我々次第であるもの』(=自分でコントロールできること)

・自分の「行動」「取り組み方」「決断」「意欲」「考え方」「欲望」「忌避」

 

『我々次第でないもの』(=自分でコントロールできないこと)

・「出自」「容姿」「才能」「財産」「地位官職」「他人からの評価」「病気」「死」

 

自分次第でどうにもならないこと(『我々次第でないもの』)に悩んでも時間の無駄で、さらに不幸になるだけである

 

 

スポンサーリンク

快楽を遠ざける

『君が何か快楽についての心象を抱く時には、二つの時間を思い浮かべてみよう。
一つは、君がその快楽を享受する時間。もう一つは、一旦快楽を享受した後でそれを後悔し、自分で自分を責める時間だ』(『提要』34)

・快楽を避ける必要があるのは、人間はどうしても享楽に傾きがちであり、また快楽に耽るせいで自分の進むべき進路に狂いが生じるからである。

・快楽というのは、その瞬間はとても楽しいが、度が過ぎれば将来大きな苦痛を生むものである。

 

『現在の小さな苦痛を選択することが、将来における大きな苦痛を回避する』

・快楽に負けず、小さな苦痛を重ねて、やるべきことに励む

・禁欲的に生きることが、かえって人生を楽しむことにつながる

・目標を決めて少しずつ努力を怠らず、小さな苦痛を重ねてようやく目標を達成する喜び、達成感は、感覚的な快楽から得られる喜びより余程優れたものであり、大きな自信を生み出すことにもなる

・自分自身が目先の誘惑や快楽に打ち克ったという自覚の方が、快楽に溺れるより余程優れたものである

 

 

 

スポンサーリンク

避けられない恐怖に捕らわれない

・「病気」「事故」「災害」「老化」「死」など。これらは自分では避けようがないことである。

・根本的に病気や突然の死(自分も家族も)は自分自身ではどうすることもできない。「不測の事態は起こるものだ」と自覚していれば、いざという時に自分を見失わないで対処することができる

 

スポンサーリンク

他人の行動や他人からの評価に捕らわれない

他人に何かを望むのは馬鹿のすること

・他人は自分ではどうすることもできない。

・他人に何かを求めるのではなく、自らができることにのみ励むこと。

 

他人の評価という泥沼から脱する

・他人からの評価や評判は、自分がいくら努力したところで自分で制御することはできない

・自分を見失わず、自由に生きるためには、自分が良いと思うこと(物、行動)を最優先し、自分自身の意思の中で生きることである。

・他人が評価してくれなくても、自己満足して幸せを感じることが重要

 

スポンサーリンク

絶えず「死」を眼前に置く

・死は「我々次第のもの」ではなく、それ自体は避けられないもであり、いつやってくるかも分からない。

・いつかは必ず死に、人間は消え去るのもであると思えば、いたずらな欲望に振り回されることはない

・死のように恐ろしい出来事を日常的に考える習慣を身に着けることで、自分の使命を自覚し、良心に目覚め、生きる意味を問うことができる。

 


タイトルとURLをコピーしました