天才たちのメッセージ 東大理Ⅲ(平成元年版)
30年以上前、受験生だったDr.Gawasoがどう足掻いても適わなかった、同級生の「受験の天才」達。
彼らはどんな生い立ちで、どんな生活、環境で勉学をしていたのか?
またこの自分とは何が違っていたのか?
そして東大医学部を卒業した彼らは、どのような医師(研究者)人生を歩んでいったのか?
医学部に入るだけではなく、なぜ敢えて最難関「東大理Ⅲ」なのか?
30年以上の時を経て、いま改めて、万難の末入手した本書を頼りに振り返りたい。
本書を読んで得た最初の反応
『あの時、新潟県から(少なくとも)3人も理Ⅲに入ってたのか!』
・メッセージを寄せた中に3人も新潟県の高校出身者(しかも新発田高校から2人!)がいたことは、正直驚いた。
・その中でも、新発田高校出身のH氏は現役生であり、Dr.Gawasoとは全くの同級生である。
・氏はZ会の通信添削と、高2の春休みから駿台(東京?)に通ったり、土日に東京に模試を受けに上京するなどしていたとのこと(圧倒的に恵まれた受験環境)。
・その恵まれた環境を差し引いても、この才能。当時のあの田舎町にこんな人材がいたとは…驚きもひとしおである(もちろん当時、名前も存じ上げていなかったが)。
『当時は地方公立高出身者も結構いた!』
・今は鉄緑会絡みの首都圏京阪地区私立高校勢が大半を占めているのだろうが、当時は今より地方勢にもチャンスがあったということか。
・当時、情報はどうやって集めていたのだろうか?
・多くの人が挙げていたのがZ会の「通信添削」(!)。
時代を感じる。現在ならオンラインか。
『当時は浪人生や再受験生も多かった』
・現在は東大理Ⅲは現役生が大多数と聞く。これも鉄緑会の勢力拡大の影響か?
『基本は「先取学習」が大事』
・やはりこれが大事か。
・次項「長岡高校出身・K氏の記事から」も参照
『皆さん概して読書好き』
・多くの合格者が『読書が好きでよく本を読んでいた』と述べている。
・小さい頃からの読書って、やっぱり地頭形成に大事なのですね。
・また複数の方が「安部公房」「渡辺淳一」を好きな作家に挙げていたのには興味がひかれた
『防衛医大かわいそう』
・記事の面々の多くは防衛医大に合格して蹴っている。現役で合格しているにも関わらず、あえて蹴って浪人している人も多い。
・彼らにとって防衛医大って、試験慣れするための模擬試験的(「かませ犬」的?)な位置づけだったのだろうか?
・どんだけ補欠だしてんだろう?
特に興味をそそられた部分
長岡高校出身・K氏の記事から
・K氏の記事の前書きに、『(K氏の)中学校の1年先輩、現役で理Ⅲに入ったYクン。その彼は中3の6月に、すでに高1の数学を終わらせていたそうです云々・・・』の記載あり。
・地域とK氏の学年から換算すると、このY君とは、恐れ多くも、かの『第20代新潟県知事・米山隆一氏』のことではないだろうか!?
・米山氏は1983年3月に新潟大学教育学部附属長岡中学校を卒業し、同年4月、灘高等学校に入学(当時で越境!)。1986年3月に卒業し、1986年4月、理Ⅲに現役合格している(!!)。
・当時の長岡教育界隈で、米山氏がその神童の名を恣ままにしていたことが伺える一文である。
・米山氏の政治信条には賛同しないが、同氏の経歴には改めて恐れ入る。
理Ⅲ合格者たちと凡人との差はなにか?
先取学習が半端ない
・大体の方は高2で範囲を修了し、高2から高3レベルの講習、Z会の添削教材、模試を受けている。
・灘高の強者は『数学は中3で高2範囲、高1で全範囲修了、物理は高2で終了』の勢い。
・Dr.Gawaso的にも当時からその重要性には薄っすらと気付いてはいたが、とてもそこまではできなかった
・皆がやっている、広くスタンダードと認識されている教材、勉強方法を卒なくこなすことが重要か。なにも魔法のようなspecialな教材があるわけではないことが分かる
(それでも付く点差はその人の天賦の才によるもので、努力のみでは如何ともし難いものもあるのだろう)。
圧倒的な勉強量、情報量
・地方現役生でも予備校に通い、受験環境にcatch upしていた方がほとんど。
・模試は何十回と受けるのが当たり前だったようである。
・Dr.Gawaso的な、『徒手空拳自己判断学習』では到底勝てません。
・ネットがある現在なら、多少は対抗できるか?
いかに集中して学習したか?
・特別長時間勉強したからといったことではないらしい。
・ただ、皆短時間でも集中して、効率的に勉強していたようだ。
・Dr.Gawaso的な、『ラジオ聞きながらダラダラ勉強』では、いくら長くやっても到底勝てる訳がない(机に向かっていたポーズ時間では勝ったかも!?)。
1989年度理Ⅲ入学生のその後の医師(研究者)人生は?
・その後の経歴をググってみると、やはり多くの方が現在日本医学会の中枢を担う要職についていらっしゃるようで、感慨深い。
・また現在、東大医学部教授にまで上り詰めた方もいるようで、同級生ながら恐れ入る限りである。
・また入学当時に思い描いていた進路とはまた違う方面へ進んが方も多いようで、そこに人生の機微も感じる。
・中にはググっても消息が追えない方もいて、あるいは医学とは全く別の道へ進まれた方もいるのだろうか?
なぜ「あえて理Ⅲ」なのか?
・もしも目的が「医師になる」ことであれば、何も貴重な青春時代を受験勉強に費やす必要はない。彼らならほぼノー勉でも、どこかの医学部には入るただろう。
・中には東北大や阪大の医学部に在籍しつつ仮面浪人していた人や、京大医学部を蹴って理Ⅲを再受験した人など、トンデモない経歴の人々もいた(親御さんはよく許したものだ。こんなバケモノには受験で到底太刀打ちできるはずはなかったことに、今更思い知らされる次第…)。
・ただ、何方かの記事にあったが、たとえ「京大」であっても、活躍の場が西日本に制限されがちな面は否めない。ましてや地方駅弁大学はもちろん、旧帝医学部さえ、である。
・卒業生のその後の進路を追ってみると、概ね皆様、日本医学会の中枢を担う要職、医療機関に勤務されている方がほとんどの様だ。そこに至る過程には、ご本人の能力はもちろんだが、「東大理Ⅲという圧倒的な無双感」が後押ししているだろう。
・これまでの同校の何千人という同校の卒業生が、現在の日本の医学界を臨床、基礎を問わず、その大黒柱として支えていることは間違いはない。また彼らには、入学と同時にその重責を負わざるを得ない運命がある。
・中には、理Ⅲが受験ヒエラルキーの頂点だから、という理由で受験する学生もいるみたいだが・・・それはそれでいい。
・ただ、単なるローカルな医師としてではなく、『日本全国のみならず、世界を股にかけた仕事ができる医学者』を目指したいという大志を持った学生には、この上なく最高の進学先となるであろう。
次は米山氏も載っている初版本『東大理3の92人―天才たちのメッセージ』を是非とも読んでみたい。
目指せ頂点!