定義
元々は、
『故郷を何年も離れていたカリフォルニア在住の娘が、年老いた父親が病気になった時に絶対にセカンドオピニオンを聞くべきと主張したため、老夫婦はそれに従ったが、なぜ自分がセカンドオピニオンを求めているかが理解できないので、医療を受けることに不安を感じてしまった』
という事例から来ている。
転じて、
『終末期など命の危機に瀕した際に、普段現れない家族が急に現れ、方針やケアに異論を唱えたり、延命処置といった積極的な対処の施行を主張する、といった『破壊的家族』を表現する医療隠語』
として知られている。
解説
医療の現場では、人生の終末期に過度な医療が行われるのを避けて穏やかな最期を迎えることを、主治医と患者、近くに住む家族とともに何度も話し合いをして決定する。
これを『インフォームド・コンセント』といったり、特に高齢者の終末期については最近『人生会議』ということが提唱されるようになった。
その課程で、唐突にこれまで親の介護に関わってこなかった遠方に住む子供が突然現れ、
「医者に会わせろ」「説明しろ」等要求し、これまで長い時間をかけて同意した治療方針が二転三転し、セカンドオピニオンを求めたり、決めた方針を覆して延命治療を求めたりする。
「カリフォルニアから来た娘症候群」とは、そのような状況を指しての隠語である。
年老いた親のケアから遠ざり、遠方で生活していた子が、久しぶりに見た親の状態変化に驚き、医学的に可能なことについて非現実的な期待を抱く。また、長年関わってこなかったことに対する罪悪感を抱き、再び介護者としての役割を果たそうとすることが要因であるといわれてる。
こうした状況というのは、世界共通で見られるようであり、
ご当地カリフォルニアでは「ニューヨークから来た娘」、もしくは「オンタリオから来た娘」と言い換えているという。
日本では地域によって様々な言われ方があり、
「東京にいる娘症候群」
「神奈川の娘症候群」
「千葉の息子症候群」
などと言われることがある。
『医療教科書的』対処法
『このような場合、理論的に説得しても無効である』
『驚きや悲しみへの「共感」を示すと共に、親を心配する娘様の気持ちを承認することで、
感情面を満たすアプローチが有効であるとされる』
『人は論理的な部分と感情的な部分を持っている。もし感情的になっている人に論理的な話ばかりしても火に油を注ぐようなものである。その場合は、先に感情を扱う必要がある』
『特に家族のことは感情を揺れ動かされることが多く、感情を扱うスキルが必要である』
『疎遠な家族がいたとしても、最後の最後になってトラブルを起こさないように、万一の時にどうするのか(どうしてほしいのか)、密に連絡をとることが重要』
などなど・・・
まとめ
自らの意思を伝えることができない高齢者医療の現場では、ご家族との関係構築が非常に難しく、しばしばトラブルの原因となることも経験する。
どの業界にも隠語や業界用語はあるが、なかなかクライエントに面と向かって反論できない医療介護者のストレス発散の捌け口になっている面もあるのかもしれない。
あまり好ましい状況とは言えないが…
誰しも自分の親には健康で長生きしてほしいと願うのは当然である。
一方、誰しも寿命というものはある。医学は万能ではない。また終末期の高齢者では、むしろ侵襲的な治療や薬物療法をしないことが予後を長くする、あるいは本人の苦痛が一番少なくなることはよく経験することである。
これまで他人任せ、介護者任せにしてきたことに対する『子供としての罪悪感』は理解できるが、その家族の評価を貶めるだけでなく、あらゆる意味で親御さんご自身を苦しめてしまうことにもつながってしまうだろう。
普段から親孝行すること。そして歳を取っても、親を悲しませないように人間的成長を目指して鍛錬を続けよう。
参照文献:
Unger KM:The Daughter from California syndrome. J Palliat Med, 13:1405, 2010
治療 2021年8月号 特集 「21世紀適々斎塾流! いつもの診療にプラスする家庭医療実践」
おまけ
カリフォルニア・コネクション
水谷 豊